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話数 | 全48話 |
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平均視聴率 | 12.7% |
放送期間 | 2022年1月9日 - 12月18日 |
放送枠 | NHK大河ドラマ |
制作国 | 日本 |
監督 | 吉田照幸 | 末永創 | 保坂慶太 | 安藤大佑 |
キャスト | 小栗旬 | 青木崇高 | 秋元才加 | 浅野和之 | 阿南健治 | 新垣結衣 | 市川猿之助 | 市川染五郎 | 江口のりこ | 大泉洋 | 大野泰広 | 岡本信人 | 梶原善 | 片岡愛之助 | 金子大地 | 草笛光子 | 國村隼 | 栗原英雄 | 小池栄子 | 小泉孝太郎 | 小林隆 | 迫田孝也 | 佐藤浩市 | 佐藤二朗 | 佐藤B作 | 杉本哲太 | 鈴木京香 | 菅田将暉 | 高岸宏行 | 竹財輝之助 | 田中泯 | 坪倉由幸 | 中川大志 | 中村獅童 | 新納慎也 | 西田敏行 | 野添義弘 | 坂東彌十郎 | 堀内敬子 | 松平健 | 南沙良 | 宮澤エマ | 宮沢りえ | 矢柴俊博 | 八嶋智人 | 山口馬木也 | 山崎一 | 山本耕史 | 横田栄司 | 米本学仁 |
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あらすじ
平家隆盛の世、北条義時は伊豆の弱小豪族の次男坊に過ぎなかった。だが流罪人・源頼朝と姉・政子の結婚をきっかけに、運命の歯車は回り始める。1180年、頼朝は関東武士団を結集し平家に反旗を翻した。北条一門はこの無謀な大博打ばくちに乗った。頼朝第一の側近となった義時は決死の政治工作を行い、遂には平家一門を打ち破る。幕府を開き将軍となった頼朝。だがその絶頂のとき、彼は謎の死を遂げた。偉大な父を超えようともがき苦しむ二代将軍・頼家。“飾り”に徹して命をつなごうとする三代将軍・実朝。将軍の首は義時と御家人たちの間のパワーゲームの中で挿すげ替えられていく。義時は、二人の将軍の叔父として懸命に幕府の舵かじを取る。源氏の正統が途絶えたとき、北条氏は幕府の頂点にいた。都では後鳥羽上皇が義時討伐の兵を挙げる。武家政権の命運を賭け、義時は最後の決戦に挑んだ──。
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第1話 大いなる小競り合い
(視聴率:17.3%)
北条家が暮らす伊豆国は太平洋に向かって張り出す半島であり、五畿七道の東海道に含まれる国です。“最北部を除く大半の地域が都と坂東をつなぐ交通路から外れる”という地理的な条件により、古来、伊豆国は中央政治から隔離しやすく、都から政治犯が流される流罪の地として利用されてきました。 北条氏の本拠・北条は、中央にそびえる天城山系の西側、現在の静岡県伊豆の国市韮山にありました。駿河湾に注ぐ狩野川沿いに位置し、伊豆国内の政治・経済の中心地である国府三島との往還には舟を用いることも可能な土地です。 一方、天城山系の東側には、伊豆国で最も有力な伊東氏の本拠・伊東がありました。現在の静岡県伊東市です。物語が始まる安元元年(1175)、都では治天の君・後白河法皇と良好な関係を築いた平家が隆盛を誇り、平家の総帥・平清盛の嫡男・重盛家の家人であった伊東祐親が、その威光を背景に勢力を伸ばしていました。そして、平治元年(1159)の平治の乱で捕らえられ罪人となった源頼朝は、平家の息のかかった祐親の監視の下で流人生活を送っていました。
出典:公式サイト
第2話 佐殿の腹
(視聴率:14.7%)
流人生活を送る源頼朝には、少なからず支援者がいました。その一人が、頼朝の乳母である比企尼です。乳母は、夫とともに貴人を幼いころから養育・後援する役目を担います。ただ授乳をするだけではありません。このため、乳母やその一族と貴人とのつながりはとても深いものとなり、強い主従関係で結ばれて大きな発言力も持ちました。 比企尼の貢献は特に大きく、頼朝が流罪となると夫とともに武蔵国比企郡(現在の埼玉県東松山市)を請所として都から下向し、夫の死後もずっと頼朝の生活支援を続けていました。比企家からの仕送りは、月に一度のペースで頼朝の下へ届いたともいわれています。頼朝も人一倍、恩義を感じていたのではないでしょうか。
出典:公式サイト
第3話 挙兵は慎重に
(視聴率:16.2%)
安元2年(1176)、後白河法皇の寵愛ちょうあいを一身に集め、義兄・平清盛との間を取り持っていた建春門院けんしゅんもんいんが35歳で死去。すると、後白河法皇と清盛との蜜月にかげりが見られ、政治の主導権を巡って両者が激しく対立するようになりました。そして、安元3年(1177)に起きた鹿ヶ谷事件で決定的な破綻を迎えます。5月、後白河法皇の近臣が京都東山鹿ヶ谷にある山荘に集まり平家打倒の謀議を巡らせていましたが、6月になって密告により計画が露見。激怒した清盛は首謀者たちを捕らえ、斬首や配流先での虐殺に処したのです。 後白河法皇もこの計画に加わっていましたが、このとき後白河院政を停止されることはありませんでした。後白河法皇に近侍していた清盛の嫡男・重盛の存在と、高倉天皇に皇子がなく代わりの院がいなかったためです。しかし治承2年(1178)、高倉天皇と清盛の娘・徳子との間に、のちに安徳天皇となる皇子が誕生。翌年閏7月に重盛が死去すると、後白河法皇と清盛の全面衝突は避けられないものとなり、ついに同治承3年(1179)11月、清盛はクーデターを起こして後白河法皇を幽閉し、院政を停止しました。 治承4年(1180)、外孫の安徳天皇を即位させ、娘婿の高倉上皇による傀儡かいらい院政を樹立させた清盛は権力の絶頂を迎えます。しかし、平家への反発もますます大きくなっていました。
出典:公式サイト
第4話 矢のゆくえ
(視聴率:15.4%)
治承4年(1180)5月に起きた以仁王の乱で源頼政が敗死すると、代わって伊豆国の知行国主となったのは平時忠でした。「平家にあらずんば人にあらず」という発言で知られる平清盛の義弟です。 それまで国主であった頼政は摂津源氏の武将で、治承2年(1178)には従三位に叙され、武門源氏初の公卿昇進を果たした人物です。清盛と良好な関係を築く一方で、武門源氏一門に対する保護も行い、孤児らを養子として迎えています。北条義時の父・時政は、現地で行政の実務を担当する在庁官人として、国主である頼政に仕える立場にありました。系統は違えど源氏が国主であったことは、流人生活を送る河内源氏の源頼朝にとっても都合がよかったでしょう。 しかし以仁王の乱の結果、事態は急変します。時忠が国主となると、現地支配は平家の家人が重用されるようになり、代官である目代には山木兼隆が起用されました。同じ源氏の謀反により平家一色に塗り替えられる伊豆国の状況に、平家から監視されていた頼朝はさぞや不安でいっぱいだったことでしょう。また頼政と結んで在庁官人を務めていた時政も、苦しい立場に追いやられていました。
出典:公式サイト
第5話 兄との約束
(視聴率:13.4%)
ついに挙兵した源頼朝が最初のターゲットに選んだのは山木兼隆。平家により伊豆の目代(=代官)を任された男です。兼隆の暮らす山木郷は北条から東におよそ3キロメートルの距離にあり、ご近所。加えて山木郷の北には兼隆の後見役を務める堤信遠の館もあり、勢いをつけるには格好の標的でした。 治承4(1180)年8月17日深夜、頼朝に命じられた北条時政・宗時・義時父子らが出撃。堤館に至った佐々木経高が矢を放ち、戦いの火蓋が切られます。『吾妻鏡』には、「是これ、源家げんけの平氏を征する最前の一箭也なり」と記されています。 ちなみに『吾妻鏡』には、頼朝が占いを行わせ、決行を8月17日寅卯とらうの剋こく(午前3時~7時)と決めたとも記されています。この日は、三島社の祭礼の日でもありました。
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第6話 悪い知らせ
(視聴率:13.7%)
石橋山は、現在の神奈川県小田原市の南西にあたります。父・源義朝が治めた鎌倉を目指す頼朝は、まず土肥実平の本拠である土肥郷に入り、山と海に挟まれ小勢でも大軍に対抗できる石橋山に陣を取りました。その数、およそ300騎。 対する平家方は、大庭景親が相模国の武士およそ3000騎を率いて谷一つ隔てた地に陣を引き、さらに、打倒頼朝に執念を燃やす伊東祐親がおよそ300騎を率いて、頼朝軍の裏側の山に陣取りました。兵力の差は歴然。景親は頼朝を支援する三浦党が合流する前に勝敗を決するため、治承4(1180)年8月23日の夜に攻撃を仕掛けます。激戦は翌日まで継続しました。 ちなみに『延慶本平家物語』や『源平盛衰記』などには、景親がまず悪口合戦を仕掛け、これに北条時政が応じたと記されています。
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第7話 敵か、あるいは
(視聴率:14.4%)
第8話 いざ、鎌倉
(視聴率:13.7%)
第9話 決戦前夜
(視聴率:14.0%)
石橋山での敗戦からわずか1か月半で奇跡的な再起を果たし、治承4年(1180)10月7日に鎌倉入りした源頼朝。しかし、息つく暇もなく10月16日には再び駿河国へと出陣します。平清盛の孫・維盛率いる平家軍が進行してきたという情報が入ったからです。 都では、頼朝の反乱を鎮圧するため、9月5日に頼朝追討の宣旨が発せられました。清盛の命を受けた追討軍は9月22日に福原を出立し、翌23日には京の六波羅へと入ります。しかし、そのまま進軍せず、29日までこの地に長期逗留とうりゅう。侍大将・伊藤忠清が、陰陽道の悪日とされる「十死一生日」に六波羅を出立することを拒んだためといわれています。石橋山での頼朝の敗戦が伝えられていたため、油断もあったのかもしれません。これが頼朝に、時間を与えることになりました。
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第10話 根拠なき自信
(視聴率:13.6%)
富士川の西岸に陣を構えていた平維盛率いる追討軍が退却。『吾妻鏡』〈治承4年(1180)10月21日条〉によると、これを知った源頼朝は、坂東武者たちに平家軍の追撃をかけて上洛するように命じました。しかし、千葉常胤、三浦義澄、上総広常ら有力な坂東武者が反対します。 その理由は、常陸の佐竹氏をはじめ坂東には頼朝に帰服していない勢力がまだ多数あり、まずは足元を固めるべきだというものです。常胤と広常にとって佐竹氏は、常陸地方の権益をめぐって争う競合相手でした。多くの坂東武者が頼朝に協力したのは、在地支配の安定や所領拡大のためであり、このまま上洛することにはメリットがありません。後白河法皇の救援、そして、平家打倒を目指す頼朝とでは、意識の違いがありました。 坂東武者の協力なくして、頼朝の悲願は達成できません。常胤・義澄・広常らの諫言かんげんを受け入れた頼朝は、上洛を断念して鎌倉へ帰還。その途中の相模国府で大規模な論功行賞を行い、従って戦った坂東武者たちの本領を安堵あんどしました。
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第11話 許されざる嘘
(視聴率:13.5%)
富士川の戦いでの敗退は、平家にとって大きな痛手でした。政権の権威を失墜させ、内乱の長期化・深刻化をもたらしたからです。 治承4年(1180)11月、平清盛は念願であった福原遷都を諦め、京へ還都しました。そして自ら陣頭指揮を執り、反転攻勢をかけていきます。老境にあった清盛ですが、平家を守るため、平家の威信を取り戻すためにまい進したのです。平家の軍事基盤である伊賀・伊勢の家人たちを先頭に近江へ攻め込み、瞬く間に反乱軍を鎮圧すると、続けて以仁王の挙兵に協力した園城寺、平家の大きな反対勢力である興福寺へと攻勢をかけ、着実に退勢を挽回していきました。しかしそれには、当時の人々が恐れおののいた大きな代償を伴いました。
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第12話 亀の前事件
(視聴率:13.1%)
治承4年(1180)12月12日、源頼朝は仮の住居から新たな御所の寝殿に入る「移徙いしの儀」を行いました。鎌倉入り直後から大倉郷に造営を開始した御所は12月に入って完成しており、この日は、坂東武者たちを従えてあらためて「移徙」、つまり、新邸に移るという儀式を挙行したのです。 そして、続いて行ったのが「着到の儀」。御所の西に造営した侍所に移動し、前月11月17日に軍事長官にあたる侍所別当に任じられた和田義盛が、頼朝の御前で「着到」、つまり、出仕した坂東武者たちの名前を記録していきました。 『吾妻鏡』の同日条には、「御家人ら同じく宿館を構ふ。自爾以降それよりこのかた、東国皆その道あるを見、推して鎌倉の主となす」と続けています。かくして頼朝は鎌倉の主あるじ「鎌倉殿」となり、坂東武者たちは「鎌倉殿」を主君とする従者「御家人」となりました。
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第13話 幼なじみの絆
(視聴率:12.9%)
木曽義仲は、久寿元年(1154)に武蔵国で生誕したといわれています。父・源義賢は為義の次男、つまり、頼朝の父・義朝の弟に当たる人物です。無官で坂東に下った義朝とは異なり、義賢は皇太子を警護する東宮帯刀先生とうぐうたちはきせんじょうに任じられ、嫡男の座を与えられていました。しかし、京で失策を犯したため解官されて、仁平3年(1153)に上野国へ下向。ついで、武蔵国に進出しますが、久寿2年(1155)8月に頼朝の兄・義平に討ち取られてしまいます。このため、義仲は信濃国木曽に逃れ、この地で成長しました。 『吾妻鏡』〈治承4年(1180)9月7日条〉によると、義仲が挙兵したのは、頼朝が挙兵した翌9月のことです。当初は、父・義賢の足跡をたどるように上野国に向かいますが、頼朝との衝突を嫌い、北陸へと進出して勢力を広めていきました。
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第14話 都の義仲
(視聴率:12.1%)
挙兵した兄・源頼朝のもとへ平泉から駆けつけた義経。当初、頼朝は、義経が奥州の覇者・藤原秀衡から与えられた武力を率いて参戦したことで、義経を介した秀衡との連携を期待しました。 しかし秀衡から頼朝に対する支援はなく、治承5年(1181)8月15日に秀衡は地方豪族としては異例となる陸奥守むつのかみに就任します。これは平家の棟梁とうりょうとなった平宗盛の策略で、秀衡に頼朝攻めを請け負わせるためのものでした。秀衡は中立を貫きますが、頼朝が秀衡を敵視したことは言うまでもありません。 『吾妻鏡』によると、養和2年(1182)4月5日、頼朝は江ノ島弁才天に文覚を招き、秀衡を呪い殺すべく調伏を行いました。この儀式には有力御家人も集結しましたが、義経の姿はなかったようです。
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第15話 足固めの儀式
(視聴率:12.9%)
寿永2年(1183)7月、木曽義仲に攻め込まれた平宗盛は、安徳天皇とともに都落ちし、天皇の正統性を示す三種の神器<神鏡「八咫鏡やたのかがみ」、神璽しんじ「八尺瓊勾玉やさかにのまがたま」、宝剣「天叢雲剣あめのむらくものつるぎ」(草薙剣くさなぎのつるぎ)>を持ち去りました。 この未曽有の事態に、後白河法皇は治天の君として新たな天皇を選定します。候補となったのは、治承5年(1181)に亡くなった高倉上皇の第3皇子・惟明これあきら親王と第4皇子・尊成たかひら親王、そして、木曽義仲が奉じる以仁王の遺児・北陸宮ほくりくのみやでした。卜占ぼくせん(占い)の結果、惟明親王に決まりかけますが、後白河法皇は尊成親王を践祚せんそさせます。後鳥羽天皇、この時、わずか4歳。神器なき異例の践祚でした。
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第16話 伝説の幕開け
(視聴率:12.9%)
寿永2年(1183)10月9日に流人の身分を解かれ、従五位下に復帰した頼朝。続いて10月14日、「寿永二年十月宣旨」と呼ばれる命令が朝廷から発せられました。その内容は、 1)頼朝の支配下に置かれた東海道・東山道における荘園・国衙領では、領主・国司の支配を従来通りの形に戻す 2)領主・国司の命令に違反するものは、頼朝が取り締まる というものです。これは粘り強い巧みな交渉が実を結んだもので、以降、頼朝は事実上の東国支配権を獲得し、官軍に位置づけられるようになりました。 しかし、東山道の信濃国に本拠を置く木曽義仲は、所領をないがしろにされたこの命令に当然、激怒します。11月19日、木曽義仲は後白河法皇の御所である法住寺殿ほうじゅうじどのを襲撃。捕らえた後白河法皇を利用して頼朝追討令を発すると、さらに翌寿永3年(1184)1月には征東大将軍に任官するに至りました。義仲と頼朝との軋轢あつれきは避けられないものとなり、義仲は範頼・義経率いる頼朝軍と雌雄を決することとなります。
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第17話 助命と宿命
(視聴率:12.5%)
『吾妻鏡』〈寿永3年(1184)4月10日条〉によると、3月27日に除目じもくがあり、木曽義仲を追討した恩賞として源頼朝が正四位下に叙されました。これは、天慶てんぎょう3年(940)3月9日に平将門を討ち取った藤原秀郷が六位から従四位下に昇進した先例に倣ったものです。頼朝も秀郷と同様に、坂東にいたまま勲功の賞を与えられました。また、もう一つの恩賞として、平家の都落ち後に没収され、義仲に与えられていた一部の平家没官領(没収した平家方の所領)を与えられたようです。頼朝は、敵方から奪った所領を御家人たちに与えることで、より強固な主従関係を築いていきます。 ちなみに、九条兼実が記した日記『玉葉』〈寿永3年(1184)2月20日条〉によると、恩賞を打診した後白河法皇に対して頼朝は、「上かみのお計らいに従うだけであり、過分の恩賞は辞退する」と殊勝な返答を行っていたようです。
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第18話 壇ノ浦で舞った男
(視聴率:12.7%)
遠く鎌倉から弟・範頼、義経に念願である平家討伐を命じる源頼朝。しかし、現場は思うようには進みません。長門(現在の山口県)まで進撃した範頼軍は、兵船の欠如から九州への渡海が難航。長期滞在によって兵糧も欠乏し、従軍する御家人たちの多くが所領への帰国を望むほど士気が低下してしまいます。一方、平家の拠点の一つである屋島(現在の香川県高松市)を攻撃する予定であった義経軍も、出撃の目処めどが立たずに停滞。畿内で平家の郎党が蜂起したことにより、後白河法皇が都の治安を守ることを求めたため、義経はなかなか京を離れることができない状況にありました。一ノ谷の戦いで劇的な勝利を収めた鎌倉軍ですが、平家方は依然として瀬戸内海の制海権を掌握しており、緊迫した状況は続いていたのです。 現代のような通信技術のない当時では、情報も錯綜。『吾妻鏡』〈元暦2年(1185)1月6日条〉によると、この日、頼朝は範頼に宛てて書状を送りますが、それが範頼のもとへ届くよりも早く、事態は大きく動くことになります。
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第19話 果たせぬ凱旋
(視聴率:13.2%)
『吾妻鏡』によると、元暦元年(1184)10月6日に公文所吉書始きっしょはじめが行われ、同20日に問注所が開設されました。御家人を統制する軍事機関である侍所に続き、文書の制作・発給を担当する公文所、裁判を担当する問注所という、二つの文治的な政治機関が源頼朝のもとに設置されたのです。 公文所の長官である別当に就任したのは、広い知識と高い政治的判断力を有する大江広元。中原親能、藤原行政、足立遠元らが寄人よりゅうどとして広元を補佐しました。一方、問注所の長官である執事に就任したのは、頼朝の流人時代から献身的に支え続けた三善康信でした。三善康信は元暦元年(1184)4月14日に京から鎌倉に下向したようです。
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第20話 帰ってきた義経
(視聴率:12.8%)
平泉に本拠を構える藤原氏は、特産品である砂金や駿馬、北方貿易などによって奥州に独自の勢力を築いていました。特に砂金は、平清盛が力を注いだ日宋貿易の輸出品として重要な意味を持ち、その功績から藤原秀衡は陸奥国の軍事長官である鎮守府将軍に就任します。そしてその後、陸奥国が後白河法皇の知行国となると、秀衡は後白河法皇と深く連携。秀衡が治承4年(1180)に平家打倒の挙兵をした源頼朝に対して義経を送り出したのは、治承3年の政変で清盛によって幽閉された後白河法皇の救援という側面もありました。 しかし、奥州に対する政治的関心が低かった平家とは異なり、支配領域が隣接する頼朝にとって秀衡は脅威となる存在でした。そこに、天才軍略家・義経が潜伏したとなれば、頼朝と秀衡の緊張関係が一層厳しいものになったことは明白です。両陣営の衝突は、避けられないものとなっていました。
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第21話 仏の眼差し
(視聴率:13.2%)
文治5年(1189)閏4月30日、藤原泰衡が数百騎を率いて源義経を襲撃し、自刃に追い込みました。京に義経の死が伝えられたのは5月29日のこと。『吾妻鏡』によると、義経の滅亡により国内は静謐せいひつ(平和)となったとして、6月8日に源頼朝のもとへ、これ以上の争いは控えることを命じる後白河法皇の意向が伝えられました。また、摂政・九条兼実も伊勢神宮・東大寺造営を理由に奥州追討を制止する御教書みぎょうしょ(三位以上の貴人の意向を伝える文書)を下しています。朝廷はこれ以上の戦いを望んではいなかったのです。 しかし、頼朝の考えは違いました。泰衡が義経をかくまった罪は反逆に勝るとし、朝廷の静止を無視して奥州攻めを進めていきます。後白河法皇が認める唯一の官軍を目指す頼朝の狙いは、当初から平泉に本拠を構える藤原氏の征伐にありました。
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第22話 義時の生きる道
(視聴率:12.9%)
奥州合戦の翌建久元年(1190)11月、源頼朝はついに上洛します。平治元年(1159)の平治の乱で捕らえられ、翌永暦元年(1160)に伊豆へ流刑となって以来、実に30年ぶりの京への凱旋でした。頼朝は、上洛を前に朝廷に対して譲歩や奉仕を行っています。『吾妻鏡』によると、奥州合戦の恩賞を辞退<文治5年(1189)11月6日条・12月6日条>し、さらに相模と伊豆以外の知行国の返還を申し出ます<同12月25日条>。また、後白河法皇の暮らす六条西洞院御所ろくじょうにしのとういんごしょの再建を請け負うなど、経済奉仕も行いました。後白河法皇の唯一の官軍となるため、頼朝は巧みな政治手腕で朝廷と渡り合っていったのです。 10月3日に鎌倉を出立した頼朝は、25日に尾張国野間で父・義朝の墓所に、27日に母ゆかりの熱田社にそれぞれ参詣し、11月7日に大軍を率いて入京します。そして、入京から2日後の9日、いよいよ日本一ひのもといちの大天狗おおてんぐと評する後白河法皇と対面することになります。
出典:公式サイト
第23話 狩りと獲物
(視聴率:13.3%)
建久4年(1193)3月、後白河法皇の喪が明けると、源頼朝は下野国那須野、信濃国三原野、駿河国富士野の3か所で大規模な巻狩りを行い、自身の権威を示しました。巻狩りは、シカやイノシシなどが生息する狩場を大勢の勢子せこや追出犬によって取り囲み、徐々に獲物を巻き込んで射取る狩猟のことで、実戦と同様に馬上から騎射が行われたため、武士にとっては軍事訓練の性格もありました。また、武士の狩猟は農作物を荒らす害獣を駆除し、農業を保護する領主の義務という側面もありました。 富士野での巻狩りの準備を行ったのは駿河国の守護を務める北条時政で、頼朝は5月15日に狩場に到着します。しかしこの後、歴史に大きく刻まれる大事件が起こり、頼朝らを震撼させることになります。
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第24話 変わらぬ人
(視聴率:12.0%)
建久4年(1193)5月28日の深夜、伊東祐親の孫である曽我十郎・五郎兄弟が、源頼朝の側近・工藤祐経を斬殺する事件が起きました。かつて工藤祐経は、伊東荘をを巡る所領相論などで伊東祐親と対立し、曽我兄弟の実父・河津祐泰を殺害。つまり、工藤祐経は曽我兄弟にとって憎き親の敵かたきでした。 富士野の巻狩りにおいて、20代前半の若い兄弟が父の敵である有力御家人を討ったことは人々を驚かせ、同情と共感を呼びました。事件後ほどなくして、女性の語り部たちが親の恩に報いる美談として語り始めると、箱根権現・伊豆山権現が仏教の唱導の要素を取り入れて書記化。鎌倉後期には、増補と改変を経て真名本の『曽我物語』が成立するに至ります。 しかし「曽我事件」は、単なる親思いの若い兄弟による敵討ちではなかった可能性が高いと考えられています。このとき富士野の現場で討たれたのは工藤祐経だけではなく、多数の御家人が死傷しました。この後、源頼朝による厳しい処断が行われていきます。
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第25話 天が望んだ男
(視聴率:12.2%)
『吾妻鏡』によると、建久5年(1194)2月2日に義時の愛息・金剛の元服の儀が行われました。烏帽子親えぼしおやとなったのは、幕府を築き上げ、御家人たちを統率する征夷大将軍・源頼朝。頼朝から偏諱へんき(貴人の名の一字)「頼」を賜り、金剛は以降、太郎頼時と名乗るようになります。この日は快晴で、夜に行われた元服の儀には、八田知家、三浦義澄、梶原景時、比企能員、足立遠元ら有力御家人が多数参列したようです。 一方、頼朝の嫡男である万寿は、元服後は頼家と名乗りました。しかし、頼家がいつ元服の儀を行ったのかについては、『吾妻鏡』にも記されておらず、残念ながらわかっていません。このため、諸説が議論されています。
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第26話 悲しむ前に
(視聴率:12.9%)
源頼朝の嫡男・頼家がまず妻としたのは、乳母父めのとでもある武蔵の豪族・比企能員の娘・せつ(若狭局わかさのつぼね)でした。『吾妻鏡』建仁3年(1203)8月27日条や中世に集成された系図集『尊卑分脈そんぴぶんみゃく』によると、建久9年(1198)に彼女との間に長男・一幡いちまんが生まれており、二人の婚姻は建久7、8年ごろであったと考えられます。 その一方で、頼家にはほかにも愛した女性がいました。賀茂重長の娘・つつじ(辻殿)です。賀茂重長は河内源氏に仕えていた武士で、『吾妻鏡』によると、彼女の母は、剛弓の使い手としても知られる頼朝の叔父おじ・為朝の娘とされています。つまり、つつじは源氏の血縁でした。
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第27話 鎌倉殿と十三人
(視聴率:11.7%)
源頼朝の死のおよそ1年前である建久9年(1198)1月、為仁親王に譲位した後鳥羽上皇が院政をスタートさせました。院となると、朝廷儀礼の中心に位置づけられていた天皇の際とは異なり、さまざまな制約や枠組みから解放されます。建久9年は土御門天皇の践祚せんそに伴う儀式が立て込んでいましたが、後鳥羽上皇はその最中に院御所などで蹴鞠しゅうきくに興じ、都を出て競馬くらべうまや闘鶏を楽しんでいます。また8月には、初めて熊野詣を行いました。 譲位は「天皇の外戚」という地位を得ようとした朝廷の実力者・土御門通親の主導によるものですが、自由を謳歌おうかできる境遇を手に入れた後鳥羽上皇はその豊かな才能を発揮し、帝王として君臨していきます。
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第28話 名刀の主
(視聴率:12.9%)
『吾妻鏡』建久10年(1199)4月12日条には、幕府に寄せられるさまざまな訴訟に関して、13人の宿老が対応するようになったと記されています。そのメンバーは、 【有力武士団】 ●伊豆 … 北条時政、北条義時 ●相模 … 梶原景時、三浦義澄、和田義盛 ●武蔵 … 比企能員、足立遠元 ●常陸 … 八田知家 ●ほか … 安達盛長 【文官】 ●大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政 の13人。いずれも頼家の父・頼朝を支えた有力御家人です。 これまでは、これを機に源頼家が直じかに決断することが停止され、この13人の合議によって裁決が行われていたと考えられてきました。しかし、 ●『吾妻鏡』の写本のひとつ「吉川本きっかわぼん」には「直に決断」ではなく「直に聴断」と記されている ●頼家が裁決したと考えられる正治2年(1200)11月9日付の文書が現存する などから、頼家が禁止されたのは訴訟の裁決ではなく、訴えを直接聴くことであったとも考えられています。
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第29話 ままならぬ玉
(視聴率:11.9%)
源頼朝から重用され、鎌倉殿を継いだ頼家を補佐する13人のひとりにも選ばれた梶原景時ですが、頼朝の死から1年余りで立場が一変しました。『吾妻鏡』によると、頼朝の乳母・寒河尼さむかわのあまの息子である結城朝光の一言から、景時の歯車が狂い始めます。正治元年(1199)10月25日、亡き頼朝をしのび、「忠臣は二君に仕えず」と嘆いた朝光。すると2日後の10月27日、その話を聞き及んだ景時が頼家に対する背信と断じ、朝光を糾弾したのです。 しかし、この景時の厳格な姿勢は、これまで鬱憤うっぷんをためてきた御家人たちの強い反感を買いました。三浦義村の呼びかけによって景時に不満を持つ千葉常胤ら66名の御家人による連署の訴状が提出され、逆に景時が糾弾されることとなったのです。弁明することができなかった景時は、所領である相模国一宮へ下向。12月18日に鎌倉追放となると、翌正治2年(1200)1月20日に、景時は一族と共に京を目指しました。
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第30話 全成の確率
(視聴率:11.4%)
源頼朝の死後、御家人たちの勢力図は目まぐるしく変化しました。その中で、対立を深めていったのが北条時政と比企能員です。 北条時政は政子の後押しも受けて、正治2年(1200)1月1日に御家人が鎌倉殿を饗応きょうおうする儀式である「垸飯おうばん」を務めました。これは、御家人の序列を表すものです。また、『吾妻鏡』正治2年(1200)4月9日条において、4月1日に時政が遠江守に補任され、従五位下に叙されたと記されています。頼朝の代では源氏一門に限られていた国守に任官し、一般御家人の「侍」よりも格上となる「諸大夫しょだいふ」となったのです。 一方、頼家の乳母夫めのとである比企能員は、建仁2年(1202)7月22日に頼家が従二位に昇叙して征夷大将軍に補任されると、その権威・権力を背景に勢力を伸ばしていきます。また、娘の若狭局(せつ)が産んだ一幡を嫡子にするように頼家を導きました。 北条と比企の争いは、このあとますます加速することになります。
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第31話 諦めの悪い男
(視聴率:12.1%)
建仁3年(1203)6月23日、源頼家の命を受けた13人のひとり・八田知家によって阿野全成が誅殺されました。謀反の疑いにより5月19日に身柄を拘禁された全成は、25日に知家の所領のある常陸国に配流されていました。 『吾妻鏡』によると、全成を拘禁した翌5月20日に頼家の命を受けた比企能員の息子・時員が、全成の妻・阿波局(実衣)を尋問するので身柄を引き渡すよう政子に要求し、断られたと記されています。しかし、25日に配流されるまでの間、全成に対してどのような審議が行われていたかについては、一切記載がありません。謀反の疑いがあってから、拘禁・配流・誅殺に至る展開は、極めて迅速です。頼朝の弟という血筋で、かつ、頼家の弟・千幡(のちの源実朝)の養育もしていた全成は、娘・若狭局(せつ)が産んだ一幡を頼家の後継者に推す比企能員にとって憂慮すべき一人でした。
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第32話 災いの種
(視聴率:11.8%)
建仁3年(1203)9月2日、源頼家の乳母夫めのと・比企能員が誅殺されました。源頼家が突如病に倒れて危篤となると、幕府は頼家の弟・千幡(のちの源実朝)に「関西三十八カ国の地頭職」、長男・一幡に「関東二十八カ国の地頭」と「惣そう守護職」を分割して譲与する配置を取りました。しかし、能員は「一幡以外に地頭職を与えると北条時政の一族に家督が奪われる」と頼家に訴えて時政追討を許可させ、対決姿勢を鮮明にしたのです。これに対し、政子から急報を受けた時政は、能員が謀反を企てようとしていると断じます。そして御家人たちを招集し、逆に能員を追討して比企家を滅亡させました。これが『吾妻鏡』の描く「比企能員の乱」です。 しかし慈円が著した『愚管抄』には、『吾妻鏡』と異なる記述がいくつも見られ、能員が時政追討を画策したという記述はありません。むしろこの事件を、幼い千幡の擁立を図った北条時政のクーデターであるかのように記されています。
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第33話 修善寺
(視聴率:10.2%)
源頼家の長男・一幡の最期は、『吾妻鏡』と『愚管抄』とでは内容が大きく異なります。 『吾妻鏡』建仁3年(1203)9月2日条には、比企能員を失った比企一族は、小御所と呼ばれる一幡の館に立て籠もり攻め寄せる義時らに抗戦。奮戦するも軍勢の勢いには対抗できず、館に火を放って滅亡し、一幡も彼らと運命を共にしたと記されています。しかし『愚管抄』には、一幡は母(せつ)とともに館の小門から脱出。同年11月3日に義時によって探し出され、義時の郎党・藤馬の手によって殺害されたと記されています。鎌倉幕府の公式の歴史書ともいえる『吾妻鏡』では、“義時の命で一幡が命を落とした”と記載を残すのは都合が悪かったのかもしれません。
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第34話 理想の結婚
(視聴率:11.9%)
九条兼実と慈円は、摂政・関白などを歴任した摂関家の長おさ・藤原忠通を父に、藤原仲光の娘・加賀局を母とする同母兄弟です。 兄・九条兼実は、五摂家のひとつ九条家を興したことでも知られ、後白河法皇崩御後は朝廷第一の実力者となり、源頼朝を征夷大将軍に推挙しました。公事や作法に関して高い見識を有するほか、和歌への関心も深く、藤原俊成・定家父子らの庇護ひご者であったともいわれています。また、兼実が40年間<長寛2年(1164)から建仁3年(1203)>にわたり書きつづった日記『玉葉』は、当時の状況を知るうえで貴重な史料となっています。 一方、弟・慈円は、比叡山延暦寺の長である天台座主てんだいざすを4度務めた宗教界の権威です。兄・兼実と同様に和歌にも秀で、「おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣そまに 墨染の袖」という歌が『小倉百人一首』のひとつとして選ばれています。また、慈円が著したともいわれる歴史書『愚管抄』も『玉葉』と同じく、当時の状況を知るうえで貴重な史料となっています。
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第35話 苦い盃
(視聴率:11.2%)
治天の君である後鳥羽上皇から「実朝」という名を賜り、「従五位下」「征夷大将軍」に叙任した源実朝。御台所として迎えたのは、後鳥羽上皇の母・七条院殖子の弟である坊門信清の娘(千世)でした。つまり、千世は後鳥羽上皇のいとこにあたる人物です。 藤原定家の日記『明月記』元久元年(1204)12月10日条によると、後鳥羽上皇は延勝寺えんしょうじの増円法眼に命じて法勝寺ほっしょうじの西大路鳥居の西に桟敷さじきを作らせ、華麗に装った千世一行が鎌倉へ向けて出立する様子を見学したといいます。自身が名付けを行った実朝、そして、鎌倉のことを気にかけていたのでしょう。実朝の御台所となった千世は、実朝だけではなく、幕府にとっても特別な存在でした。
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第36話 武士の鑑
(視聴率:12.4%)
義父・北条時政との亀裂が深まり、対立することとなった畠山重忠。その要因のひとつは、時政による武蔵国への支配の拡大があります。 重忠は秩父ちちぶ平氏の嫡流であり、比企郡に隣接する男衾おぶすま郡を本拠としていました。武蔵国の留守所るすどころ惣検校職そうけんぎょうしき(武蔵国の事務を総括する職位)を務め、武士の鑑かがみと称されるなど御家人たちからも尊敬を集めています。しかし、『吾妻鏡』建仁3年(1203)10月27日条によると、比企能員を誅殺して武蔵国から比企の勢力を一掃した時政は、侍所別当を務める和田義盛を奉行として、武蔵の御家人たちに自身に対して二心を持たないように命令。本拠のある伊豆だけではなく、幕府の基盤である武蔵の掌握にも乗り出していました。自身の立場を脅かされ、重忠が危機感を抱いていたことは、想像に難かたくありません。 藤原定家の日記『明月記』建仁4年(1204)1月28日条には、「北条時政が畠山重忠に敗れて山中に隠れた」というウワサが記されており、北条と畠山の確執が京にも届いていたことがうかがえます。
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第37話 オンベレブンビンバ
(視聴率:12.6%)
元久2年(1205)6月22日、畠山重忠軍が、義時らが率いる討伐軍と抗戦。兵力差をものともせず奮戦しましたが重忠は討ち取られ、畠山氏は滅亡しました。このとき重忠が率いたのは、わずか百三十四騎。重忠の弟や親族のほとんどは他所よそにおり、合戦に加わることはできませんでした。このことから、義時は「重忠が謀反を企てたという疑いは偽りである」と断じ、父・北条時政へ無念な思いをぶつけています。 多くの御家人たちから尊敬と信頼を集めていた重忠の無実の死は、追討を命じた時政の立場を悪化させました。『吾妻鏡』元久2年(1205)7月8日条によると、畠山一族から没収した所領が、執権である時政ではなく、政子の計らいによって勲功のあった者に与えられます。まだ幼い三代鎌倉殿・源実朝の意向と称して剛腕を振るっていた時政ですが、その権勢に陰りが生じ、実朝の母である政子の存在感が増していました。このあと、時政・牧の方(りく)夫妻と、政子・義時姉弟きょうだいとの確執は、さらに深まっていきます。
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第38話 時を継ぐ者
(視聴率:11.7%)
『吾妻鏡』元久2年(1205)閏7月19日条によると、牧の方(りく)が悪だくみを考え、三代鎌倉殿である源実朝を廃し、自身の娘婿である平賀朝雅を新たな鎌倉殿に擁立しようとしているというウワサが、鎌倉に流れたと記されています。 平賀朝雅は、源氏一門である平賀義信の子で、母は頼朝の乳母めのと・比企尼の娘です。父・義信は源頼朝から重用され、朝雅は頼朝の猶子でもありました。北条と比企との対立が深まり、建仁3年(1203)9月2日に比企能員の乱が起こりますが、前年に母が亡くなっていた朝雅は北条に付き、討伐軍にも加わっています。その後、京都守護として上洛した朝雅は後鳥羽上皇から重用され、藤原定家の日記『明月記』によると、後鳥羽上皇から伊賀国の知行国主に任じられています。 劣勢となった時政・りく夫妻にとって、朝廷とも良好な関係を築いていた平賀朝雅は勝負の切り札となりえる人物でした。
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第39話 穏やかな一日
(視聴率:12.0%)
建仁3年(1203)9月に鎌倉殿・征夷大将軍となった源実朝。『吾妻鏡』によると、実朝は元久2年(1205)4月12日に十二首の和歌を詠よみ、同年9月2日には後鳥羽上皇の親撰しんせんともいえる『新古今和歌集』を京から取り寄せたと記されています。 古代・中世の人々にとって、政治と文化は切り離すことのできない関係でした。後鳥羽上皇の第3皇子である順徳天皇が著した故実書『禁秘抄きんぴしょう』には、天皇が収めるべき芸能・教養として、第一に学問(漢籍による政道追究)、第二に音楽、第三に和歌と挙げられています。当時は楽器を奏でる音と和歌を詠み上げる声により神仏と交感することで、天下泰平・国土安穏を実現することができると考えられていたため、為政者である貴族たちは音楽と和歌の習得に励んでいました。 実朝が和歌を詠み始めたのは、朝廷と渡り合わなければならない幕府のトップ・鎌倉殿として、必要不可欠なことでした。
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第40話 罠と罠
(視聴率:11.3%)
源実朝は、父・頼朝と同年生まれの和田義盛と親密な関係にありました。『吾妻鏡』建暦2年(1212)8月18日条によると、実朝は義盛から昔話を聞くために、御所に祇候しこうするように命じています。また、翌3年の正月には、1日の大江広元、2日の北条義時、3日の北条時房に次ぎ、4日の「垸飯おうばん」を義盛に務めさせました。「垸飯」とは、有力御家人が鎌倉殿と御家人たちを饗応きょうおうする行事であり、御家人の序列を表すものです。つまり当時和田義盛は、広元、義時、時房に次ぐ4番目の地位を占めるような有力御家人でした。義盛が上総介の官職を望んだとき、母・政子の反対もありながら実朝はその願いを一旦は受け入れます。結局は後鳥羽上皇の近臣である藤原秀康が補任されたため、義盛の願いはかないませんでしたが、二人の関係が揺らぐことはなかったのです。 御家人の支持を集め、実朝とも親密な義盛ら和田氏は、義時ら北条氏にとって非常に目障りな存在でした。
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第41話 義盛、お前に罪はない
(視聴率:11.3%)
北条と和田との間で確執が深まる中、建暦3年(1213)に事件が起きました。『吾妻鏡』2月16日条によると、信濃の武士・泉親平(親衡)が源頼家の遺児(のちの栄実)を将軍とし、北条義時を殺害することを計画。未然に発覚してこの計画は防がれましたが、およそ百三十人もの御家人が関与していたのです。信濃は頼家の乳母夫めのと・比企能員が勢力を及ぼしていた土地でした。 衝撃的だったのは、捕縛者の中に幕府の侍所別当を務める和田義盛の息子の義直・義重と、甥おいの胤長が含まれていたことです。義盛が源実朝へ直訴を行い、息子二人はただちに赦免されました。しかし、首謀者のひとりであった甥の胤長は許されず、一族九十八人が列座する前で後ろ手に縛り上げられて歩かされたのちに流罪となります。これは、裁定に乗じた北条義時の義盛への挑発でした。恥辱を受けた義盛らはこれを境に御所への出仕をやめてしまいます。そして、その後も義時から執拗に挑発され続けた和田氏は、同年5月2日、ついに義時打倒のため挙兵しました。 ちなみに、泉親衡については史料がほとんどなく、逃亡後の消息はわかっていません。
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第42話 夢のゆくえ
(視聴率:11.3%)
『吾妻鏡』建暦3年(1213)5月22日条によると、和田合戦に伴って京でさまざまなウワサが飛び交い、後鳥羽上皇が京の警固のため在京御家人を留まらせたということを、京から帰参した使者が報告しています。和田方の残党が京に侵入して騒動を起こす可能性もあり、京は騒然としていました。前日の5月21日には関東で「山崩れ地裂く」ほどの大きな地震もあり、その対応に追われる中でのさらなる凶報に、責任を負う立場にある源実朝はさぞや肝を冷やしたことでしょう。 和田合戦後、建暦3年(1213)後半に実朝が自撰じせんした『金槐和歌集』には、後鳥羽上皇への思いをつづった歌があります。「太上天皇だいじょうてんのうの御書を下し預りし時の歌」という詞書ことばがきの巻末三首(六六一歌~六六三歌)で、なかでも歌集全体の最後を飾る六六三歌、 山は裂け 海は浅あせなむ 世なりとも 君にふた心 わがあらめやも は著名です。 実朝は必死の思いでこの歌を詠み、後鳥羽上皇に忠誠を誓う返書に書き添えたのかもしれません。
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第43話 資格と死角
(視聴率:11.5%)
幕府には解決しなければならない大きな課題がありました。源実朝の後継者問題です。御台所の坊門信清ぼうもんのぶきよの娘(千世)が鎌倉に下着したのは、元久元年(1204)12月のこと。それから建保4年(1216)末までに12年の歳月がたっていましたが、実朝・千世夫妻に実子は生まれていませんでした。当時は医療の未発達などにより、生まれた子どもが幼くして死亡する例も少なくなく、権力者たちは正妻のほかに複数の妾めかけを取って後継者を確保するのが通例でした。しかし、実朝は妾を取ろうともせず、後継将軍不在という異常事態が続いていたのです。 そんな中、驚くべき極秘プロジェクトが始動します。それは、治天の君である後鳥羽上皇の皇子を後継将軍に迎えるというものです。実現した場合、実朝自身はその後見役に回るという推測もされています。血統においても、人脈においても、後鳥羽上皇の皇子はこれ以上ない後継者でした。
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第44話 審判の日
(視聴率:11.0%)
父・頼朝を超える左近衛大将さこんえのだいしょうに昇任し、建保6年(1218)7月8日に鶴岡八幡宮で直衣始のうしはじめを執り行った源実朝。このあとも治天の君である後鳥羽上皇の支援を受けて、誰もがあきれる異例の早さで昇進していきます。 同年10月9日には、貴族社会でも破るのが難しいとされる大臣の壁を突破して内大臣に昇任。その1か月後、11月11日に左大臣・九条良輔が34歳で死去すると、12月2日に甥おいの九条道家が右大臣から左大臣に転じ、同日付で空いた右大臣のポストに実朝が昇任します。太政大臣が名誉職化していた当時の官僚体系にあって、右大臣は左大臣に次ぐ武家には想像を絶する高い地位です。良輔の死去という事情があったとはいえ、右大臣という高みに、内大臣への任官から2か月もたたない異例中の異例ともいえる早さで到達したのです。
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第45話 八幡宮の階段
(視聴率:6.2%)
二代鎌倉殿・源頼家を父として正治2年(1200)に誕生した公暁。元久2年(1205)12月2日、政子は公暁を鶴岡八幡宮の二代別当・尊暁のもとへ入室させ、門弟としました。鶴岡八幡宮は源氏の氏神を祀まつる社です。いずれ頼家の遺児に別当を継がせ、そのもとで亡き夫・頼朝の遺産である鶴岡八幡宮を発展させようと考えていたのかもしれません。その後、公暁は建暦元年(1211)9月15日に鶴岡八幡宮の三代別当・定暁のもとで落飾し、園城寺に上って僧侶としての修行を積みます。そして、定暁が死去すると、建保5年(1217)6月20日に鎌倉に下り、鶴岡八幡宮の四代別当となりました。 ところが、公暁は同年10月11日から千日の参籠さんろうを開始し、髪を剃そることなく、人々が怪しむほどの祈祷きとうを始めました。僧侶として修行を積んだ公暁には、調伏ちょうぶくという武器があります。そして、髪を剃らなかったのは、還俗するための準備だったと考えられます。公暁はそれほど、鎌倉殿への強い執念を抱いていました。 かくして建保7年(1219)1月27日、日本中を震撼しんかんさせる運命の日がやってきました。
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第46話 将軍になった女
(視聴率:11.3%)
建保7年(1219)1月27日の三代鎌倉殿・源実朝の横死は、日本中に多大な衝撃を与えました。『吾妻鏡』によると、翌1月28日に安達景盛をはじめ御家人百余名が悲嘆のあまり次々と出家しています。実朝がいかに御家人たちから慕われ、大きな存在であったのかがうかがえます。 政子、北条義時、大江広元ら幕府首脳陣にとっても、鎌倉殿の不在は危機でした。実朝は後鳥羽上皇から支援を受けて、父・頼朝をはるかに超える右大臣という武家ではきわめて異例の高い地位に昇った存在であり、実朝を失ったいま、幕府の求心力の低下は避けられません。公暁が鎌倉殿の座を欲していたように、源氏の血を引く者たちがその座を狙って謀反を起こし、幕府内が混乱に陥る危険性がありました。 新たな鎌倉殿を迎え、速やかに新体制を確立する必要があった鎌倉幕府。しかし、不信感を募らせた後鳥羽上皇との駆け引きは一層激しさを増し、粘り強く朝廷と交渉することを余儀なくされます。
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第47話 ある朝敵、ある演説
(視聴率:11.9%)
承久元年(1219)6月25日、摂関家・九条兼実のひ孫・三寅が迎えの御家人たちとともに京・六波羅を出発し、3週間余りをかけて7月19日に鎌倉に下着しました。これにより、次期将軍予定者の三寅のもと、政子が「尼将軍」として幕府を代表し、「執権」である北条義時が政務全体を取り仕切る新体制が整います。 しかしこの間、後鳥羽上皇の住まう京では、大事件が起きていました。源頼政の孫・頼茂が、三寅の鎌倉下向を不満に思い謀反を起こしたのです。7月13日、追討の院宣を下された頼茂は、代々守護を務めてきた大内裏に籠もって追討軍と戦い、火を放って自害。この際に仁寿殿じじゅうでんだけではなく、所蔵されていた累代の宝物などが焼失します。兵火によって大内裏の殿舎が焼け落ちるのは前代未聞であり、後鳥羽上皇はショックのあまり、1か月以上も床に臥ふしてしまいました。 後鳥羽上皇は「三種の神器」なくして践祚せんそし、壇ノ浦の戦いで宝剣を失ったことにコンプレックスを抱えており、治天の君としての正当性を示し続けてきました。幕府の内紛によって何ら関係のない大内裏が焼け落ちたことに、さぞや強い憤りを感じたことでしょう。その思いが、幕府を取り仕切る北条義時との確執を、さらに大きなものにしていきます。
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第48話(最終回) 報いの時
(視聴率:14.8%)
承久3年(1221)5月15日、後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣と官宣旨を下しました。「承久の乱」の始まりです。後鳥羽上皇の標的は、あくまでも北条義時でした。意のままに動かない義時を排除し、幕府を支配下に置いて意のままに操ろうとしていたのでしょう。慈光寺本『承久記』には、院宣は武田信光、小笠原長清、小山朝政、宇都宮頼綱、長沼宗政、足利義氏、北条時房、三浦義村の8名に宛てて下されたと記されています。いずれも在京経験が豊富な実力者であり、この中の何名かを取り込むことができたならば、後鳥羽上皇の計画は盤石だったに違いありません。 ところが、御家人たちは義時から離反することなく、逆に後鳥羽上皇へ牙をむきます。5月19日に事態を把握した政子、義時、大江広元ら幕府首脳陣は、鎌倉に潜入した後鳥羽上皇の使者を速やかに捕らえて院宣・官宣旨を隠匿いんとく。そして、政子の名演説によって御家人たちの魂を揺さぶり、幕府存亡の危機に対し、団結を誓わせることに成功したのです。 北条義時率いる幕府軍と後鳥羽上皇率いる官軍による、存亡を懸けた戦いの幕が切って落とされました。
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電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
NHKオンデマンドなら見放題 0円
music.jp
スペック | |
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無料トライアル | 30日間 |
月額料金 | 1,958円(税込) |
ポイント特典 | 毎月5,458円分 ※無料トライアル中は1,600円分 |
見放題作品 | なし |
レンタル作品 | 200,000本以上 |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | 500,000冊以上 |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
music.jpならレンタル 220円~
Netflix
スペック | |
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無料トライアル | なし |
月額料金 | ベーシック:990円(税込) スタンダード:1,490円(税込) プレミアム:1,980円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 75,000本以上 |
レンタル作品 | なし |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
Netflixでは配信なし
FODプレミアム
スペック | |
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無料トライアル | なし |
月額料金 | 977円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 50,000本以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | 150誌以上 |
電子書籍 | 300,000冊以上 |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
- 月9ドラマなどフジテレビの独占配信作品が多数見放題
- FODだけのオリジナル作品も配信中
- アニメや海外ドラマなどの人気作品もFOD独占でラインナップ
- 130誌以上の人気雑誌が読み放題
- 毎月もらえる100ptは、新作映画や最新マンガの購入に使える
- いつでも簡単に解約できる
FODでは配信なし
Lemino
スペック | |
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無料トライアル | 初月 |
月額料金 | 990円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 180,000本以上 ※音楽動画などを含む |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
Leminoでは配信なし
Hulu
スペック | |
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無料トライアル | なし |
月額料金 | 1,026円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 100,000本以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
- 日テレの独占配信作品が多数見放題
- Huluだけのオリジナル作品も配信中
- アニメや海外ドラマなどの人気作品もHulu独占でラインナップ
- テレビ・スマホ・PCなどに対応
- FOXチャンネルなどのライブTVが楽しめる
- いつでも簡単に解約できる
Huluでは配信なし
ABEMAプレミアム
スペック | |
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無料トライアル | なし |
月額料金 | 960円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 10,000本以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
ABEMAでは配信なし
Paravi
スペック | |
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無料トライアル | なし |
月額料金 | 1,017円(税込) |
ポイント特典 | 毎月550円分 |
見放題作品 | 30,000本以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
Paraviでは配信なし
TELASA
スペック | |
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無料トライアル | 15日間 |
月額料金 | 618円(税込) |
ポイント特典 | 毎月550円分 ※無料トライアル中はポイントなし |
見放題作品 | 10,000タイトル以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
TELASAでは配信なし
Amazonプライム・ビデオ
スペック | |
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無料トライアル | 30日間 |
月額料金 | 600円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 80,000本以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | あり |
電子書籍 | あり |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
Amazonでは配信なし
クランクイン!ビデオ
スペック | |
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無料トライアル | 14日間 |
月額料金 | 990円(税込) |
ポイント特典 | 毎月2,000円分 ※無料トライアル中は3,000円分 |
見放題作品 | なし |
レンタル作品 | 15,000本以上 |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | 150,000冊以上 |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
クランクイン!では配信なし
dアニメストア
スペック | |
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無料トライアル | 31日間 |
月額料金 | 550円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 5,300タイトル以上 |
レンタル作品 | あり |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
dアニメストアでは配信なし
ディズニープラス
スペック | |
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無料トライアル | なし |
月額料金 | 990円(税込) |
ポイント特典 | なし |
見放題作品 | 800タイトル以上 |
レンタル作品 | なし |
雑誌読み放題 | なし |
電子書籍 | なし |
配信ジャンル | ||
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洋画 | 邦画 | アニメ |
海外ドラマ | 韓流ドラマ | 国内ドラマ |
バラエティ | スポーツ | アダルト |
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